2011年12月7日水曜日

研究室門戸開放


大学1年生:学生への研究室門戸開放の案内

1年生の「学生への研究室門戸開放」の時間

貴施設名:心臓病電子医学  教授名 山家智之

・分野の紹介(研究内容・特に力を入れている分野・現在のトピック等)
 東北大学では、医学部と工学部が仲良く研究を進める「医工学」研究に関しては戦前からの伝統があり、世界で最初に超音波診断法が開発されたのは加 齢医学研究所のこの研究室です。みなさんiPhoneで「PUBMED」をひいて、「HEART TOMOGRAPHY ULTRASOUND」で検索してください。世界最初の論文は、まちがいなくこの研究所から産まれたことがすぐ証明できます。かかる伝統に則り、心臓病電 子医学では、各種人工内臓の開発研究や、各種血管の診断装置、血管年齢の診断装置、超音波診断機器の開発が進んでいます。これに続いて「完全置換型人工心 臓」開発にも取り組んでいます。
・研究がどのように生かされ,応用されているか
 この加齢医学研究所心臓病MEで研究を進めて来た人工心臓が動物実験で世界記録を更新し、今年、保険収載が可能になり、東北大学病院でも臨床がは じまりました。東北大で実験が進められて来た埋め込み型補助人工心臓が、これまで救命不可能だった患者さんの命を救っているわけです。これに続いて「完全 置換型人工心臓」開発にも取り組んでいます。 TAHte-1s.jpg
 心臓血管病の大元は動脈硬化です。そこで予防医学の方面でも、世界各国と動脈硬化の共同研究を行い、國別の標準値を探求する事で、世界中の予防医学、保険診療に貢献しています。リハビリ機器の開発も進めています。

・研究室で大切にしていることなど
 ズバリ 新しいアイデアです  みなさん、なんか思いついたら是非! 加齢研へ!  東北大では何でも出来ます!

・見学中に学生に学んでほしいこと
 研究開発中の人工臓器、リハビリ機器、医療機器に交代でタッチして、医療機器開発の現場を楽しんで行ってください
更新日時:2011/12/07 18:30:39

2011年6月11日土曜日

S先生物語


ドヤ街からお医者さん。ニコヨンの親分さんから復帰

 せっかく医学部に入ったのに、何パーセントかの学生さんは残念ながら脱落していきます。数回、留年したりすると、退学させられること になります。いまや医学部の入学試験は東大より難しいとまで言われていますので、入学した時には秀才だったはずの学生さんなのに・・・です。実にもったい ないことです。先生側にしてみても、落第させたくて落としているわけじゃありません。医者の国家試験は、別に定員制ではなく資格試験なので、所定の医学知 識を得ていることが確認できれば、本来ならば合格率100%でも別にかまわないのです。それでも例えば、一学年100人学生さんがいると、例えば、シソフ レニーの発症率は人口の1%前後ありますから、精神的に安定を失って学業に耐えない学生さんが、確率的にはどうしても出てきてしまうということがありま す。
 私が卒業した当時、うちの医局に入ると、旧帝にしては、めずらしく、すぐ大学の医局の中に机を頂くことが出来ました。他のナンバー内科や、ナン バー外科では、医局の人数が多すぎて新入医局員などには、ぜんぜん机がないことも多かったので、まあまあラッキーなスタートだったと言えるかもしれませ ん。私が使っていた窓際の角の机は、私が入局する半年前まで、先輩のS先生が使っていたそうで、診断、検査や薬のマニュアル、パンフレットが多く残されて いました。1年目の医局員では、薬の物質名はわかっていても商品名はわからず、処方する基本的な薬剤の名前すらも、わかりませんから、ありがたく勉強させ ていただきました。
 以下は、医局で先輩から聞いた、男気溢れた豪傑の、そのS先生の物語です。
 S先生が学生時代のことです。
 やっと学部に進学し、解剖が始まったとたん、ラテン語、ドイツ語で授業を進める新進気鋭の第1解剖学教授に、いきなり落第させられたそうです。当 時は教養部の二年間と、医学部専門課程の学部の四年間が、完全に教育課程として分離されていましたので、学部に進学するや否や、たちまち試練に晒されたわ けです。
 昔、私の机を使っていた、そのS先生曰く、 「俺、英語だって苦手なのに、ドイツ語やラテン語なんて見る気もしねえ!」・・・だ、そうですが、教授が認めてくれなければ上の学年に進学できません。そ れでも教育熱心な教授は、再試験をしても、何とか進学させてくれようとはするのですが、要求水準があまりに厳しく、追試験、追追試験と、次々に落ち続 け・・・、結局、留年してしまったそうです。残念でしたが仕方がありません。翌年、一年後輩の学生と一緒に、解剖の試験を受けることになりましたが、厳格 なことでは音に聞こえたI教授。そんなことを遜色してくださるような先生ではありません。
 ついに留年したS先輩、一年後輩の学生と試験を受けても受かることができません。勉強しても勉強しても受かりそうにないS先輩。ついに頭に来てキレてしまい・・、絶望して仙台から逐電してしまったそうです。
 四国の故郷に帰れば、実家で子供が医者になるのを心待ちに楽しみにしている両親に、とても顔向けできません。
 もちろん仙台に帰ることもできません。
 間を取って?・・・・そこからが、S先輩が豪傑なところなのですが、大阪のドヤ街?に、居着いてしまったそうです。
ドヤ街。 と、言われても今の若い人はわかりませんよね。
 いわゆる日雇いの、非雇い労働者の方々が多く住む街のことで、「宿」を逆にして「ドヤ」だそうです。
 親分肌で、もともと頭の良いS先輩のこと、ドヤ街でも、なんとなく、皆をまとめる立場になって、気が付いたら、日雇労働者の方々を、どこやどこへ派遣するのか何となく決める役割を担うようになってしまったそうです。
 いわゆる一つの、ニコヨンの親分さんですね。ニコヨン。と言っても、若い人にはわからないと思いますし、実は、その話を教えてくれた先輩から伺っ ていた時には私も知らなかったのですが、昔々、東京都の条例か何かで、肉体労働の方々の最低賃金を決めたことがあったそうで、それが時給240円なのだそ うです。それが転じて、肉体労働の関係の方々を「ニコヨン」と、呼ぶようになったそうです。いまは最低賃金も時給800円以上でしょうから、もう通じなく ても仕方ないですね。
 S先輩は、気が付いたら、何となく、ドヤ街でも、今で言う「派遣請負業?」で、羽振りが良くなって、ついつい街に居着いてしまったそうです。とこ ろが、大学も、休みに入ったある日、医学部の同級生が  「ところでSは、いったい全体、どこへ行ったんだ・・・?」と、年賀状を頼りに訪ねて来てくれたそうで、ドヤ街にいたS先輩を、ついに探し当ててくれた そうです。その同級生の調べでは、「Sは、留年は決まっても、まだ退学になっていないから、何とかするように」と、教務の先生からそれとなく頼まれていた そうで。
 今も昔も東北大学は家族的な雰囲気があって良いところです。
 二度留年して、もう退学だと進級を諦めて、世を儚んでドヤ街に居着いていたS先輩も、まだ席があると聞いて、これは、もしかするとまだ、チャンス があるかもしれない。と、仙台に舞い戻り、今度という今度は、さすがに覚悟を決めて勉強したので、さしもの厳しい解剖の教授もついに進学を認めてくれ、何 とか進級できた・・・と、医局の先輩から話を聞きました。実は、当時の医学部の進級システムは少し変で、教養部が二年、基礎課程が二年、臨床課程が二年 と、限られていました。逆に言うと、二回留年しても、合計4年の間に、基礎課程を修了させることができれば、何とか臨床の課程に進学できるのです。普通は 一つの学年では二度目の留年が決まれば、単位を取れきれませんので、S先輩は、さっさとあきらめてしまったわけでしたが、実際には、当時の東北大には3回 目のチャンスが残されていたわけでした。
 そのような豪傑のS先輩ですから他にも多くの伝説を残してきたそうです。これは先輩ではなく、病院の技師さんに聞いた話です。
 昔は仙台もあまり豊かでない患者さんが多かったようです。ある日、外来をやっていたS先生が、患者さんに「だいぶ、心不全が進んでいるようなの で、入院した方がいいですよ」と、お勧めしたところ、なかなか納得していただけません。医学的には入院が必要だから・・・と、重ねて入院をお勧めしている と、ついに、「先生、私、恥ずかしいんだけど、お金なくって入院できないっちゃ・・・」と、ようやく話しはじめたそうです。
 男気あふれたS先生。それを聴いて 「よし! そんなら入院代は俺が払ってやるから、いいから入院しろ!」と、言いだしました。それを聴いて、さすがに患者さんも目が点。
 真っ青になった外来の看護婦さんが、慌てて医局長に電話し、医局長が、外来にすっ飛んできたそうです。
 「S! それだけはやめろ!」
 「なんでですか? だって入院は必要じゃないですか!」
 「それはそうだが、じゃあ全部の患者さんの入院費、おまえ払う気か?」
 「・・・」
 「いいから俺に任せろ」
  良いことか悪いことかわかりませんが、当時は「学用患者」さん、と、いう制度がありました。学術的に重要な意味を持つ患者さん。あるいは、医学 生の実習に有用な患者さんに関しては、大学病院の方で診療費を負担し、患者さんの負担はゼロになります。それはそれでなかなか良い面のような感じですが、 患者さん側にしてみれば、タダになる代わり、何となく気後れして、治療方針の決定に、自身の意見が言いにくくなって、意思を反映できなくなりますから、好 い点ばかりでもありません。もちろん、いまではとても無理な制度ですが、当時は上手く活用していた面もありました。この時も、医局長が気をまわして上手く 学用患者さんのリストに入れてくれて、S先生のその患者さんも無事入院できたそうです。なんでも医者や外来の看護婦さんたちやレントゲン技師さんだけでな く、古手のスタッフまでも良く知っている伝説の有名な実話だったようです。
更新日時:2011/06/21 17:33:59
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2011年6月3日金曜日


私たちの311

 心臓病電子医学分野は、3月11日は、加齢医学研究所の、「華麗」なる新しいビル、スマートエイジング棟への引っ越しの真っ最中の出 来事でした。あと、2時間早く地震が来たら、クレーンで搬入中のドラフトチャンバーが2~3階あたりを浅間山荘のように直撃していたはずで、危うく人的被 害を免れたところです。
 スタッフ/学生さんはそれぞれ、引っ越し荷物を持って、研究棟5階、1階、そしてSA棟5階に、物品運び+整理中、に分散しておりました。宮城県 沖は99%地震が来ると言われておりましたので、研究室では、ある程度の心の準備もあり、それぞれの部署で揺れに耐えていましたが、あまりの長い地震に、 ついに東北大で最も華麗なビルと言われるSA棟まで電源が落ち、全員中庭避難となりました。
 幸いスタッフ/学生さんに怪我はなく、実験動物も無事でしたが、いつも鳴き声のある、さしものヤギさんたちの小屋でも、一声もなくシ~ンとして、 動物までびっくりしているのか。と言う感じです。全員家族安否確認のため一時帰宅としましたが、現実には渋滞で帰宅が難しかったのはご存知の通りです。
 SA棟の最新設備で電気等は何とか回復してくれましたが、水道、ガスがなく、物資なく、翌日から、実験動物の維持に四苦八苦することになりまし た。故郷のある学生さんやスタッフには一時帰郷していただいたので、荷物が段ボールを開けないまま、モノがないので広い部屋で寒さに震えながら動物の維持 だけに努めました。
 背中からは大学病院に舞い降りるヘリコプター、救急車の音がどんどん聞こえてきます。
 いるところがあるだけでも有り難い事です。
 関連病院のヘルプもいかねばならないのですが、ガソリンもなく交通もままなりません。毎日教授会があったのはわかっていましたが、そもそもガソリンがなくたどり着けず、何回かスキップしてしまいました。
 翌週には何とか、ネット環境が復旧、関連病院の先生方におかれましても無事が何とか確認できましたが、病院側は復旧と急患と被災者の収容、DMAT, JMATの皆様方の交通整理などもあり空前絶後の状態であった事はご存知の通りです。
 さて、全部がストップして電気も水道もガスもない状態で、ぽつんとおかれ、動物実験も出来ない状態になり、、交通網寸断で、どこへも行けず、何も 荷物が出せず、片付けも出来ず、物資すらなく、全て止まる・・・。の状況で改めて私たちは何をするべきかを考えさせられる事にもなりました。
 皆様のおかげさまをもちまして、現在は、ほぼ完全に復興し、動物実験も開始しました。
 またよろしくお願いいたします

IMG_3617.jpg
東北大学加齢医学研究所心臓病電子医学 大学院医工学研究科 大学院医学系研究科 山家智之
更新日時:2011/06/03 16:52:25
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2011年4月5日火曜日

東日本震災


東北関東大震災

(平成23年4月5日)
 今週から、心臓病電子医学分野、及び、人工臓器医工学講座のスタッフ、及び、学生さんには仙台に戻っていただいて、いつも通りのミーティングから 再開しました。まだ新幹線も飛行機も東北本線も復旧していないので、遠隔の学生さんはバスなどで戻ってきました。ご苦労様でした
 東北大学の学生さんのご家族でも、仙台の放射線被曝に不安を覚える方々もいらっしゃりますが、仙台では今は被曝線量は全く正常範囲で経過していますので、ご心配なされぬよう、よろしくお願い申し上げます。
 また、今週から麻酔科の志賀卓弥先生にも研究に参加していただいております。人工心臓に興味のある今時、珍しい先生なので、大成を期待しています。引っ越しと地震と物流不足で、再スタートがなかなか滞ってはおりますが、精力的に進めて参りたく存じます。  福島原発ではなかなか騒動が落ちつきませんが、仙台は今日も、被爆線量は全くの平年通りで問題ない数値で経過しています。仙台市内の皆様、また仙台を出入りする物流の業者さん等におかれましては、風評被害に踊らされませんよう、よろしくお願いいたします。
 加齢研の心臓病電子医学、機能画像、脳機能開発は、スマートエイジングの新しいビルに引っ越しました。出入りに鍵が必要になったようです。事務で行って開けていただくか、入り口から心臓病電子医学へ電話してください。内線8517です。

(平成23年4月1日)
 新年度を迎え、復興に頑張っている皆様も多いと感じております
 我々、心臓病電子医学でも、引っ越しと地震の片付けがダブルで来たので、復興途中の面もございますが、先行きが明るくなって 近いうちに研究に完全復帰できると考えています
 ただ、臨床現場の最前線では、残念ながら、地震関連で風評被害が、とてつもなく広がっています
 医療従事者が、福島の患者さんを診察して、被曝する事はあり得ません。
 医療従事者が診察しない事は応召義務に違反するものです
 また、仙台市は今日も、被爆線量は、例年と変わらず全く正常範囲である事実は、文部省HPからも宮城県HPからも確認できます。
 仙台に家がある人は、外を歩こうと、洗濯物を干そうと、被曝する可能性はゼロです。
 放射線被曝に関連する風評被害が生じないように、正確な情報を得るようお願い申し上げます。
 なお、放射線被曝情報は、以下の団体のホームページをご参照下さい。
放射線医学総合研究所 http://www.nirs.go.jp/index.shtml
日本核医学会 http://www.jsnm.org/
日本核磁気共鳴医学会 http://www.jsmrm.jp/modules/other/index.php?content_id=1
日本医学放射線医学会 http://www.radiology.jp/
日本小児科学会 http://www.jpeds.or.jp/tohoku-j.html
日本産婦人科学会 http://www.jsog.or.jp/news/shinsai_index.html

(平成23年3月30日)
福島市の被曝量を、下記のように県庁データでグラフにしましたが。 福島市のデータは、毎日、福島医科大学のデータがHPで公表されているそうです。福島市の飲用水のデータもあります。 被爆線量は、継続して減少傾向と言う事です
仙台市のデータは相変わらず正常範囲から動いていないようで(0.12マイクロシーベルト『2011.3.30』)、医学的には、完全に、安全なようです
医学系学術団体、各学会も少しづつ正しい情報を流してくださっていますが、風評被害は相変わらず激しく、物資の調達には苦労しています。 物流関係の皆様、惑わされずに正しい理解をお願いいたします

本日、やっとHPが復旧しました。
 (平成23年3月24日)
 震災で亡くなられた皆さん、そして、ご家族の皆さんに心からのお悔やみを申し上げます。地震・津波の被害にあわれた皆様へお見舞いを申し上げます。
 私ども、東北大学加齢医学研究所心臓病電子医学、及び、大学院医工学研究科人工臓器医工学講座のスタッフ、職員、大学院生に関しましては、おかげさまで、なんとか全員無事を確認しております。
 ご心配をおかけいたしました。
 3月11日は、私たちの研究室の、引っ越しの真っ最中で、研究棟からスマートエイジング棟へ移るところでした。研究機器は全て段ボール等で包装されたところだったので、機器の被害はあまりありませんでしたが、論文や本は完全に散らばってしまい、床は見えませんでした。
 諸先輩の関連病院の先生方におかれましても、皆さんご無事でしたが、ご存知の通り、宮城県では、全病院、総力を挙げて現在、復旧に挑戦しており、 なかなか現状が連絡できない病院も多く、一部診療を再開できた病院もありますが、インフラ壊滅で、復興の困難に直面している病院もあります。
 特に困難に直面しているのが、インフラ整備に関わる放射線被曝の風評被害で、物資の調達が滞っているようです。現実には、福島市においても、被爆線量はどんどん減少しており、宮城県下でも全く心配する必要のない線量です。
 今日現在の仙台市は、0.12マイクロシーベルトと全く正常範囲です。(文部科学省HP)
図1、福島市における被曝。脳機能開発分野の川島隆太教授作成:福島県HPより Fig1.jpg
 東北に物資の搬送に向かったからと言って、福島や仙台で、物流に従事する皆様が、危険な被曝線量になる事は、現状ではあり得ません。(2011年3月24日現在)病院で一回冠動脈等のCT検査を受ければ、この千倍以上の被曝量になります。
 物流関係の皆様、どうか、安心して仕事に従事くださるようお願いいたします。
 現在、宮城県では特に病院の物資の搬送が、特にガソリン不足などで滞っており、医師は出勤できず、看護師は家に帰れず、職員、泊まり込みで復旧に 奮闘しても、医療資源や薬剤はもとより、生活物資まで滞り、職員が、三食とも、おにぎり一個で奮闘している病院も多いようです。患者さんだけでなく、医療 従事者の健康の維持すら難しく、張り切っていた若手から熱発で倒れて行く病院もあります。この栄養状態では患者も医師も、ともに感染症の爆発的流行も懸念 されます。  避難所の被災した方々はもちろん、家が何とか残った患者さんたちの食生活もむろん調整困難で、血糖値も血圧もトロンボもコントロールが難しくなっていま す。なんでこんなにINRがぶれるのか患者さんに伺うと、「そう言えばおにぎりしか食べてない」と言われました。
 手術室も検査室も、電気ガス水道なしでは復旧できません。ガソリンなしでは、医療従事者も患者さんもそもそも病院へ行けません。
 外来の予約の患者さんが病院へ来ないので、電話してみると、全く繋がらない家もあり、そもそも患者さんの家が、残っているのかどうかも分からない 状態です。電話が繋がっても「新幹線も電車も止まってガソリンもないので病院へ行けません」と、言われます。糖尿病や高血圧などの慢性疾患が管理不能とな りつつあります。
 東北地方への、物流の復興を、伏して、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

東北大学加齢医学研究所教授 山家智之
更新日時:2011/04/05 20:53:47

2011年3月30日水曜日

仕事をして死にたいのだ


仕事をして死にたいのだ自分を変えるということはこんなにも難しいことなのか

 東北大学医学部基礎棟のロビーに、こんな言葉が額に掛けられています。
 私たちの学生時代。6年間の医学部の授業の中で、最も厳しいのが第1解剖学の石井教授であると言われていました。当時の、いわゆる学部1年(3年 生)で課される解剖実習もたいへんで、脇の下などの神経や筋、血管の構造の解剖をスケッチで書いて出す課題を科されるのですが、めったなことでは合格点を もらえません。よくわかっていないと、神経と血管が繋がったような変なスケッチをしてしまいます。回診して来た石井教授に「こんなのは話にならん!」と、 即刻せっかく書いたスケッチが却下されて一からやり直しになります。そういう過程で、たいていは、夜中まで実習がかかります。
 実習の途中、終わらないまま夜中になり・・・、疲れきってロビーで自動販売機のコーヒーを買い、座り込んで飲みながら見上げると、壁に「仕事をして死にたいのだ自分を変えるということはこんなにも難しいことなのか」の墨書がかけられているのです。
 素人でもわかる達筆なので、どなたか有名な先生の書かな?・・・と思っていたら、本当は「読み人知らず」なのだそうです。
 なんか、その方が、この書の内容にふさわしくていいような気がします。
 きびしい実習が終わり、やっと夏休みに入る前、東北大学医学部における最大の名物と呼ばれる石井教授の「ムント」が待ち構えています。ムントと呼 ばれているのは「口頭試問」のことで、教授と直接、相対して口頭で試験されるので、大変に厳しく、ほとんどの学生が一回目の試験では落第させられます。 4~5人の少人数グループの学生相手に、石井教授直々に厳しく質問攻めにされます。
 私のグループでは不幸にして私が一番目でした。
  石井教授「グランデュラサイロイディウス」について言ってみたまえ。
  私「・・・・」
  石井教授「そんなこともわからんのかね?」
  私「・・・・」
  石井教授「次!」
  次の学生「えっと・・・首にあります」
  石井教授「それだけかね?」
  次の学生「・・・・」
  石井教授「話にならん!次!」
  次の次の学生「えっと・・・・蝶のような形です」
  石井教授「それだけかね!」
  次の次の学生「・・・・・」
  石井教授「次!」
  次の次の次の学生「えっと・・・・」
    石井教授「何も出ないのかね?」
  4人とも「・・・・・」
  石井教授「こ・・・こ・・・このグループはひどい! き・・・君たちはいったい、やる気あるのかね!」
  もちろん、4人とも一回目の試験は玉砕!・・・不合格でした。
 (再試験、再々試験でなんとかなりましたが・・・これも厳しい!)
 石井教授の解剖の講義では、解剖用語の単語が基本的にラテン語、ドイツ語、英語で概説されますので、学生は日本語と合わせ、一つの解剖用語に対 し、四種類覚えなくてはならない羽目になります。そもそもそれだけで大変なのに、「お金がない学生は、医学書を買うのも大変だから・・・」という、石井教 授の、優しさで、授業では毎回、分厚い大量のガリ版刷りのプリントが渡されます。読むだけでもたいへんで・・・、ちゃんと全部取っておいたら、わたしの本 棚が一段、石井教授のプリントだけで埋まってしまいました。
 つまり、本棚一段分を、日本語、英語、ドイツ語。ラテン語で全部暗記しなくてはならないわけです・・・
 四カ国語を覚えなくても、答えるのは日本語で答えても良いそうなのですが、石井教授の授業が基本はラテン語の単語なので、日本語だけ覚えていて も、そもそも講義について行けません。この試験の時の私のように、石井教授のムント本番で、そもそも質問の、意味すらわからなくなる訳で、試験に答えるど ころではなくなってしまう訳です。
 こんな量になるくらいなら、印刷して本にしてしまえば、嵩張らないのに・・・と、思いますが、毎年、毎年、石井教授が自分で納得できないポイント が出てくるので、毎年必ず、プリントを改定しなくてはならないので、決して「本」として出版できないというのです。他人にも厳しい石井教授だけに、自分に も厳しく、印刷された本を見ると、納得できない点が、必ず見えて来て、毎回、毎回、改訂しなくては、いられなくなるそうなのです。
 自分にも他人にも厳しい石井先生の姿を拝見していると、東北大学の医学部の学生は「仕事をして死にたいのだ・・・」の書の意味が、言葉の意味だけではなく、実際の体感として、納得できていくのでした。
 現在、大学の外科で医局長をしている同級生が、同窓会で、25年ぶりに、久々にお会いできた石井教授に「先生のプリント!手術で役に立っています!」と、お声かけしたところ、すっかり好々爺になった石井名誉教授は、何となく、うれしそうに笑っているのでした。
 「先生!先生!一緒に写真撮らせてください!」と、同級生が石井教授の周りに押し掛け、交代でツーショット写真を撮りました。東北大の同窓生にとって、お元気な石井名誉教授は「80歳のアイドル?」のような感じです

東北大学加齢医学研究所心臓病電子医学 山家智之
更新日時:2011/03/30 19:14:21

2011年3月3日木曜日

東北大学において埋め込み型補助人工心臓EvaHeartの臨床実技トレーニングを実施:EvaTraining


東北大学において埋め込み型補助人工心臓EvaHeartの臨床実技トレーニングを実施:EvaTraining

 2011年3月3日、東北大学加齢医学研究所、及び、大学院医工学研究科において、新しく認可された埋め込み型補助人工心臓EVAHEARTの埋め込みトレーニングプログラムが遂行されました。 IMG_3316.jpg
、成功裏に子牛を用いた動物実験も行われ、心臓血管外科の斉木教授を筆頭にしたスタッフサージャンにはEVAHEART埋め込み認定医師の修了証明 書が交付され、東北大学病院の手術室担当の看護師の皆様方、体外循環技師の皆様方に研修終了の証明書が交付されました。これで、完全埋め込み型の補助人工 心臓の東北大学病院における臨床展開が、公的にオーソライズされることになります。 RIMG0462.jpg
 東京女子医科大学心臓外科の山崎主任教授、西中講師、及び開発のサンメディカル社のスタッフが、その臨床経験と、システムの使い方のノウハウの講 演を、座学で伝授し、引き続き、スタッフサージャン、機械出し看護師さん、体外循環技師さんなどは、東北大学大学院医工学研究科バイオメディカル実験棟に おける実習トレーニングに移行、臨床スタッフが来る前に、我々、加齢医学研究所のスタッフ並びに、国立循環器病センターの水野先生は、健康な子牛を使った 動物実験準備に入り、麻酔導入を進めました。 私どもも、常には、動物実験は山羊を用いることが多いので、子牛の胸腔の大きさには驚きましたが、東北大学医学部動物実験倫理委員会の厳正な審査を経、厳 密に規定に従って実験を進め、開胸手術を進めました。 体外循環導入からは、大学病院心臓外科スタッフのトレーニングに移行、仙台医療センター鈴木一郎体外循環技師長が体外循環を担当。大学病院の体外循環全ス タッフが訓練を行ったので、医師、看護師、体外循環技師、メーカさん、業者さん、数えてみると三十数名があの狭い手術室に入ることになってしまいました が、手術は順調に進み、エバハート挿入ポケット作成、SVC、IVCにカニューラ挿入、上行大動脈に見たてられる総頸動脈に送血カニューラ挿入、体外循環 開始、オンビートで左心室心尖部を確保、斉木教授のリードの下で川本准教授が縫合を行い、本吉講師や秋山講師の執刀の下で、エバハートの埋め込み手術訓練 は無事終了しました。 RIMG0506.jpg
 術後は規定に従って倫理的に問題がないサクリファイを行い、ディスカッションの後、修了認定書の交付が行われました。
 重症心不全に対する治療戦略の最後の切り札として幅広い展開が望まれます。

東北大学大学院医工学研究科人工臓器医工学講座 山家智之
更新日時:2011/03/25 20:05:54